12年熟成梅干し(森梅園)
Q:大量生産の梅干しと少量生産の高級梅干しはどんなところが違うでしょう?
Q:あなたは12年前、どこでどんなことをしていましたか?
「12年熟成梅干し」
梅干しは、年月によって味が変わります。漬け込んで半年程の新物は、紫蘇(しそ)の色と香りがともに濃く、1~2年物は塩味がなじんでくると言われています。3年熟した梅干しは塩味もまろやかに。さらに、4年、5年、6年…と熟成させた梅干しは酸味が少なく、とてもやわらかで深い味わいになります。
今回お届けした、ものすごく貴重な12年熟成の超高級梅干しはいかに?この梅干しの作り手は森梅園さん。大分県で梅やすももを栽培しています。
梅栽培は1961年に始め、60年以上の歴史があります。品種改良をして独自の新品種を選抜し、梅の実に日光がよりあたるように不要な枝葉を切り落とす方法など、60年にわたって培われた技術が親子3代に渡り継承されています。
森梅園さんでは自作の木酢(もくさく)液を使用し減農薬に取り組んでいます。アブラ虫の駆除、「灰色カビ病」と言う菌にも効果を発揮しています。
森梅園の木酢液は、剪定で出た梅の幹を燃やして炭を作る時に発生する煙を冷やして得られる液体です。200種類以上の有機成分が含まれていて除菌、抗菌作用があり、害虫駆除にも効果を発揮します。
梅の実は、一本の梅の木でも上部と下部、北向きと南向きでは熟し具合が違います。そこで一粒一粒、適期を見極めてから手作業で収穫しなければ味にばらつきが出ます。
市販の梅干しの多くは大量生産品ですので、一粒一粒というわけにはいきません。つまり熟し度合いがバラバラです。
また、梅の実は完熟すると地面に落下しますが、森梅園では、落下する前に樹上で収穫します。シートや網を敷いておいて、落下したものを収穫する方法もありますが、キズや虫がつくことがあるため地上に落ちた梅は使用しない徹底ぶりです。
塩は長崎五島灘の海水を原料に作られた、「にがり(ミネラル)」をほどよく含んで角のない、まろやかな深い味わいのものを使っています。
また、赤紫蘇は、輸入物ではなく、種から苗を作り、その苗を畑に植えて自家栽培したものを使っています。
12年という熟成期間は、日本人になじみ深い干支(えと)をヒントにしたそうです。長い年月によって、色合いが変わり、果肉は柔らかいですが表皮はしっかりしています。
森梅園の皆さんは、梅干し料理やトッピングとして何に合うのか考えているうちに、毎食梅干しを食べるようになったそうです。お料理に使う醤油やお塩の代わりに梅干しを使うことも。「梅干しを食べない日はありません!」と言われる森梅園さんにおすすめの食べ方を聞いてきました。
★食パンを1/4にカットして、カットした「12年熟成梅干し」、ハム、チーズなどお好みの食材を乗せて一緒にオーブンで焼くと、ワインにもぴったり!
★カットした「12年熟成梅干し」にはちみつをかける。そのままでも、パンにのせてもおいしい!
★炊込み梅干しごはん。お米2合に1粒とちりめんじゃこを乗せていつも通りに炊きます。炊き上げて混ぜると程よく果肉が散ります。
★お酒好きの方は、焼酎割に入れて。つぶして飲むのもよし、飲み終わった最後に頂くのもよし。
ちなみに取り出した種を捨てずに小瓶に入れた醤油に数日浸けると、ほんのり梅干し風味のお醤油になります。冷蔵庫保管で1週間くらい楽しんでいただけます。冷や奴や焼いたお餅などにぴったりだと思います。
森梅園さんのある大分県日田市大山町。耕地面積はわずか8%ほどで米作などはほとんどできません。また、地主は町外の人がほとんどのため林業収入もほとんどなく、町民は出稼ぎや零細農業を余儀なくされていました。
そこで、大山町では「梅、栗植えてハワイへ行こう!」を合い言葉に収益性が高い梅や栗を栽培し始めましたことを受け、森さん一家も梅を植えました。
それから60年。植えてから三年の幼木にようやく実った梅の実には、苗木業者のミスで梅干しには適さない品種が混じっていることがわかり村(当時は大山村)の人々は大いに落胆しましたが、接ぎ木や育苗のし直し、トラックの運転手などをしながら家計を支えて剪定技術を磨き、価格暴落などにも耐えながら梅の栽培を続け、ついにコンクールで「日本一」の梅干しを生み出すほどになりました。
大粒や小粒はあっても、中粒で品質がいい物が少なかったため、独自に品種改良をして新しい梅も生み出しています。
美味しい梅干しを作るには健康でハリと艶がある元気な梅を作る必要があります。
森梅園の後継者である娘のあゆみさんのお話です。
「梅の木、一本一本と会話のできる父は「今、ここを切ってくれ、ち、言よる」と言いながら、すばらしい剪定を毎年、毎年、1000本やり遂げます。父の手で形作られた樹形は、芸術作品と言ってよいほど、美しいのです。母は「お父さんがいい梅を作ってくれるき、いい梅干しができる。」とその日に収穫した梅の塩漬け(一次加工)をいくら疲れていても、真夜中にやり遂げます。その背中は力強く、妥協を知りません。母の漬ける梅干しは、全国梅干しコンクールでの受賞歴が物語っています。
今回の「熟成梅干し」は12年の時を経てお客様の特別な時間の一品になることを心からうれしく思います。
昔ながらのしょっぱい梅のなかに、こくや旨味、そして12年をめぐらす良いひと時となりますことを願っております」
さて、「令和」という元号に梅が関係していることをご存じですか?
「令和」は、日本に現存する最古の和歌集「万葉集」から出典されました。
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前粉、蘭薫珮後之香」
(初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和やわらぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす)
現代語訳は、「折しも初春のめでたい月、空気は清らかで風も穏やか、梅は鏡の前でをつけた美人のように白く咲き、蘭は身に帯びた匂い袋のように薫っている。」となります。
日本の元号が、日本の古典が由来となったのは初めてのこと。平成までは、中国の古典からの典拠でした。
万葉集と聞くと和歌の一節のように思われるかもしれませんが、この文章は和歌ではなく、その序文(説明書き)です。
奈良時代の初め、当時の大宰府の長官、大伴旅人の邸宅で「梅花の宴」という歌会が開かれました。そこで、梅をテーマにした三十二首が詠まれ万葉集におさめられているのですが、その序文として大伴旅人が書いたものです(序文作者は諸説あります)。
序文には、春に向かおうとしているのどかで麗らかな当時の気候や、参加者が親しくお酒を飲みながら気持ちを歌に詠んでいた歌会の開催の様子などが書かれています。
令和の典拠となった部分は、歌会当日の情景です。梅の花が咲き、蘭の香りが漂う…という様子が伺えます。ちなみに蘭は、「あららぎ」と読み、秋の七草のひとつである藤袴のことだと考えられています。
令和の元号には、「春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように一人ひとりが明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたい」との願いを込められています。
12年という年月は梅干しの味をどう変えたでしょう?
令和に込められた思いを感じながら、平成・令和に渡り漬け込まれた12年熟成梅をご堪能いただければと思います。